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スポーツを通じた民族融和の可能性を考える

南スーダンの事例から,スポーツによる援助の可能性を探る

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序章より

 日本においては十分に理解されていない平和構築のためのスポーツを用いて「平和」を創る活動と,平和が可視化される様に光を当てることにより,多くの人に開発と平和のためのスポーツに関心を持ってもらいたいと考えている。また,これまで多くのスポーツ協力隊員の派遣後の政府開発援助における受け皿が欠如した状況を少しでも改善すべく,「開発と平和のためのスポーツ」プロジェクトの形成につながり,日本の開発援助においても「開発と平和のためのスポーツ」が主流化していくことを期待している。
 筆者が実際に直接かかわってきた南スーダンでのスポーツを通じた平和構築支援の立ち上げの背景や立ち上げに尽力してきた関係者,また,本書で取り扱う全国スポーツ大会の効果や参加選手,コーチ,観客などの声を紹介することにより,スポーツの開発援助における可能性を示したい。また,そこで見えてきた新たな疑問や懸念が,今後のスポーツを通じた開発と平和を考える上での重要性の投げかけとなるように取りまとめていくことで,「開発と平和のためのスポーツ」への関心を高めたいと考えている。それが本書の狙いである。

詳細目次

序 章
第1章 南スーダンと紛争

南スーダンの概要/南スーダンの紛争/紛争と若者/小 括

第2章 平和構築支援とスポーツ―なぜ南スーダンでスポーツを通じた平和構築なのか

平和への対応と開発援助の融合/脆弱国家への対応/南スーダンでの取り組み/平和構築を巡る議論/南スーダンでスポーツを通じた平和構築支援へ/現場主義からの着想

第3章 「国民結束の日」―その準備と大会内容

開会式/「国民結束の日」におけるスポーツ大会概要/フェアプレイのはじまり/決勝戦/閉会式

第4章 「国民結束の日」の効果―参加選手たちへの影響

「開発と平和のためのスポーツ」/第5回「国民結束の日」/調査方法/収集データと証言からみた選手たちへの効果/定量分析と結果/小 括

第5章 「国民結束の日」のジュバ市民への効果

南スーダンとスポーツ/調査手法/サンプルの概要/仮 説/ジュバ市民のスポーツへの関心度とその変化/男女・種目別スポーツ参加率/ジェンダーによるスポーツへの適正認識/ジュバ市民を取り巻くアクターへの信頼度/定量分析結果/ジュバ市民の声/小 括

第6章 国外退避,リオ・オリンピックと東京オリンピック

独立後2度目の国内紛争と国としての初のオリンピック参加/独立後2度目の紛争/南スーダンにとって初となるオリンピック参加/東京2020オリンピックと前橋市での長期事前キャンプ

最終章
あとがきと謝辞

著者情報

 古川光明(ふるかわ・みつあき)

大学時代,米国への留学中,途上国の友人と接するなかで,開発援助に関心を持つ。1987年法政大学経済学部卒業後,民間を通じた技術協力を目指し,清水建設株式会社に就職。その後,1989年国際協力事業団(JICA)入所。社会開発調査部,国際緊急援助隊事務局,企画部,長期研修,タンザニア事務所次長,外務省経済協力局援助協調ユニット長,無償資金協力部計画課長代理,総務部総合調整チーム長,英国事務所長,JICA研究所上席研究員,JICA南スーダン事務所長を経て安全管理部長を務める。2019年4月から静岡県立大学国際関係学部教授。2014年一橋大学より博士号(社会学)。古川光明(2014)『国際援助システムとアフリカポスト冷戦期「貧困削減レジーム」を考える』日本評論社にて,2014年度・第19回「国際開発研究 大来賞」受賞。その他論文多数。

スポーツを通じた民族融和の可能性を考える
―南スーダンにおける平和構築の取り組み―

古川光明[著]

半世紀にわたる紛争により多くの犠牲者がでるなか,大きな喜びと希望を持って独立した南スーダンは,その2年半後,国内紛争が勃発し,再び,全国で多くの犠牲者をだした。そのようななか,2016年1月に独立後初となる「国民結束の日」が開催された。そして,「ジュバに行けば殺される」「難民保護区を出れば殺される」と思っていた選手たちが「国民結束の日」の参加を経て,「平和と結束」の重要性を認識し,敵対する民族を含めて交流がなされ,信頼などの社会関係資本が形成された。「国民結束の日」は,南スーダンにとって,民族融和,国民の一体化や和解への希望の灯をともすイベントとなった。そして,その「国民結束の日」に出場した選手のなかから「平和の祭典」であるオリンピックに初めて国として参加し,その後,戦後復興を成し遂げた日本で開催された東京2020オリンピックにも出場した。本書では,その一連の経緯や「国民結束の日」が果たした役割を検証した結果などを,エピソードを交えて綴ってきた。しかし,「国民結束の日」はこれで終わったわけではない。(あとがきと謝辞より)