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食習慣やライフスタイルに関する訪問調査を通して長寿に迫る。自治体関係者は必読!


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遊園地特集


子どもたちが夢中になった,憧れの場所「遊園地」。
今回は,時代の移り変わりで,惜しまれつつも閉園した懐かしの遊園地を,意外なエピソードとともにご紹介します。
子どもの頃,ワクワクしながら行ったあの遊園地を思い出し,この夏休みに家族で遊園地に出かけてみてはいかがでしょうか?
こちらの企画もあわせてご覧ください。



花屋敷


2002年(平成14年)に閉園した「横浜ドリームランド」には,創設者・松尾國三の思いがありました。
松尾は,明治時代の農家に生まれ,10歳で旅芝居の一座に身を投じ,己の才覚1つで新宿歌舞伎座などの経営者まで登りつめます。
そして,学歴がないために味わった悔しさを子どもたちにも味あわせたくない,という思いから,「財団法人松尾育英会」を設立します。一方でアメリカでディズニーランドに出会い,子どもたちにこのような夢の国を体験させてあげたい,という思いから,和製版ディズニーランド「横浜ドリームランド」を建設します。ヨーロッパの雰囲気を基調とした宮廷庭園などが人々を楽しませました。
しかし,皮肉にも東京ディズニーランドが開園したことで,壊滅的な打撃を受け,閉園への道をたどります。
跡地は半分を横浜市が買い取り,公園になることが決定。後の半分は,横浜薬科大学の校舎となっています。奇しくも,松尾の「子どもたちに勉学する場と夢を与えたい」という思いに符合するように,市民の憩いの場と学びの場が並び立つ場所となったのです。
正面ゲート。バッキンガム宮殿を模した建物と衛兵の姿がまぶしい。
写真提供:吉井健三氏。『夢の国 ドリームランド』より

向ヶ丘遊園


1,000種2万株が咲き誇った東洋有数のバラの園。
写真提供:小田急電鉄株式会社
向ヶ丘遊園は1927年(昭和2年)小田急線の新宿〜小田原間の全線開通にあわせる形で開園。当初は入園無料の公園に近いものでしたが,戦後は「空中ケーブルカー」や「ウォーターシュ−ト」などの大型アトラクションを導入し,本格的に遊園地として展開します。1958年(昭和33年),この遊園地最大の特徴である「ばら苑」を新設。1,000種2万株のバラが咲き誇る関東一のバラの園として話題を呼びました。
しかし,時代の波には勝てずに,2002年(平成14年)に惜しまれつつ閉園しました。
閉園後ばら苑一帯は,「生田緑地ばら苑」として川崎市に移管。今でも人々の目を楽しませています。また,2008年(平成20年)に,跡地内への藤子・F・不二雄ミュージアム(仮称)の立地が決定しています。

江の島


昭和30年代の渋谷は,今からでは想像できないほど,生活用品を売る商店街が立ち並ぶ「地味な街」でした。
そんな渋谷を魅力ある街にしようと,当時の東急総帥,五島慶太は最新の文化施設設立に動き出します。そうして完成した施設が「五島プラネタリウム」です。
マスコミにも大きく取り上げられ,多くの客が訪れる一方,ソ連が打ち上げに成功した,世界初の人工衛星を屋上で観望したり,アポロ11号の月面着陸時には,アメリカのヒューストンとを結んで宇宙中継三元放送の拠点の1つとなるなど,天文施設としての重要な役割を果たしました。
そんな五島プラネタリウムも,各地に同様の施設ができたこと,施設の老朽化などにより,2003年(平成15年)に閉館します。
現在,五島プラネタリウムの財産は渋谷区が一括で保管し,旧小学校を利用した「渋谷区五島プラネタリウム天文資料」として,活動を継続しています。
1986年(昭和61年)にはハレー彗星観望会も開催。
写真提供:渋谷区五島プラネタリウム天文資料

東京タワー


多くの人々がパラシュート降下を楽しんだ「大落下傘塔」。
写真提供:『読売新聞八十年史』より
二子玉川園の前身は,大正時代に玉川電気鉄道が開設した「玉川第二遊園地」でした。その後1937年(昭和12年),読売新聞社が敷地と施設を借り受け,「よみうり遊園」と改称します。当時建設された「大落下傘塔」は,地上50メートルからパラシュート降下が楽しめる超大型遊戯施設として,人気を集めました。上級コースは実際のパラシュート降下に近く,陸軍の飛行学生たちがお忍びで通ったほどだといいます。
戦後「二子玉川園」として営業を再開。遊戯施設を充実させたり,「ウルトラセブン」のロケ地になるなど,人気遊園地となりますが,土地の再開発の関係などから,1985年(昭和60年)に閉園します。
人々の注目を集めた「大落下傘塔」は,戦後江の島に運ばれ,平和灯台として生まれ変わります。
そして,2002年の江の島展望台のリニューアルに伴い,62年にわたる役目を終えました。

スパリゾート・ハワイアンズ


フラミンゴを日本に広く知らしめた「行川アイランド」。ここは,フラミンゴがサンバを舞い,クジャクが空中ダイブをみせる,現在でも珍しい「鳥のテーマパーク」でした。
そんな行川アイランドは,元は朝鮮戦争後の解体された爆弾火薬の保管場所でした。火薬はその後自衛隊などに使われ,保管場所は跡地になります。
そして,当時の日本治金工業株式会社社長の森暁は,1964年(昭和39年),この跡地に「行川アイランド」を開園します。森は,長年この地で軍の爆雷や照明弾製造に携わってきました。ある意味この遊園地は,戦争に加担したことへの森個人の「罪滅ぼし」の形ともいえました。
行川アイランドはその後,鳥たちの飼育費の問題や入園者の減少から,2001年(平成13年)に閉園。鳥たちは,東北サファリパークや上野動物園などの施設に引き取られていきました。今でも東北サファリパークでは,行川アイランドのフラミンゴたちがショーを演じてくれるといいます。
100羽のフラミンゴがワルツやサンバを踊り,池のまわりを行進。
写真提供:高橋裕子氏。『行川アイランドパンフレット』より


もっと詳しく知りたい方は…



今回ご紹介した遊園地の他に,閉園となった遊園地の軌跡や,時代が移り変わっても,昔と変わらない賑わいをみせる遊園地や,子どもを取り巻く現代のアミューズメント事情などを紹介しています。
この本を読んで,自分の子ども時代を思い出し,親子で遊園地に出かけてみませんか?





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『セピア色の遊園地』を新書版として改訂。お求めやすい価格となっています。
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